しゃべれども しゃべれども

原作の世界を忠実に表現している



  

九条のみなみ会館から祇園まで転戦。事前にバスが便利だと調べてある。祇園会館で映画を観るのは、いったい何時以来なのか、記憶を手繰り寄せてもわからない。でも、間違いなくガラガラだと思っていたのだけど...。無料の招待券がドカンと配られたのか、それとも近所の商店街の福引の景品だったのか...。よくわからないけど、まるで試写会会場のような賑わいに驚いてしまった。

「一瞬の風になれ」を書いた佐藤多佳子の同タイトルの小説「しゃべれどもしゃべれども」(新潮文庫)が原作。
売れない若手落語家がひょんなことこら“話し方教室”を開くことになり、そこに参加する年齢も性別も職業もバラバラの三人の人間模様。それが実に丁寧に描かれている。
ボクがこの本を読んだのは随分と前のことだったので、お話しはすっかり忘れていたんだけど、(映画の)お話しが進むにつれ「あゝそうやった」と記憶が蘇ってくる。特に師匠の伊東四郎がいい。原作でボクが思い描いていた世界がこの映画ではかなり忠実に再現されている。大阪弁をあやつる男の子も、クリーニング屋さんの美女も、喋れない野球解説者もみんないい。

このところ、落語は結構人気があるらしい。天魔の繁昌亭も連日満員らしし、ちょっと名が通った噺家の独演会もホールが埋まるらしい(もっとも“名が通った”という認識に、ボクと若いのにはかなりのズレがあるんだけど...)。かつて“ヤング・オー・オー!”というTV番組があって、司会は三枝で、その中で若手落語家が“ザ・パンダ”というメンバーで売り出していて、そのメンバーが文珍・小染・八方・きん枝だったとは、誰に言ってもわかってもらえないか...。
それはともかく、このところボクが興味を持っている歌舞伎も文楽も和服で演じる伝統芸能。しっかりとした師弟関係のなかで培われるその伝統に、門外漢のボクは畏怖さえ覚える。この世界に飛び込もうという若者はいったいどんな決意なのか。どれだけ強い意志を持っているのか...。歌舞伎や文楽は少々敷居が高そうだけど、落語ならそうでもないのか。いやいや、実際にはそんなことはないでしょう、きっと。
若さから来る体力や情熱だけではなかなか芸は磨けない。酸いも甘いも噛み分けて、愛やら恋やら、美食も、カネの重みや軽さも経験して、いろんな人に会って話しを聞いて、人間としての厚みがましてはじめて出来る芸もあるんでしょうな。

若い落語家が主人公なんだけど、実はこのお話しそのものがまるで落語のようなもの。
自宅のモニターでDVDやビデオでも気楽にお楽しみいただけるお話しかと存じます。

おしまい。