地球でたったふたり

知りたい 知りたくない...



  

なんだか引き込まれてしまいそうな、そんなお話しだった。
立ち上がりは、まるで「誰も知らない」のコピーのよう。あまりにも切なくて、これから先どうなるのか、知りたいような、これ以上知りたくないな...。思い切って席を立つ手もあったけど、せっかく観に来たのだから...。
昨日の「ハピネス」に続いて「幸せとはなにか」を問うているのかな。いや、掌中の幸せは決してそのまま続くわけではないということなのか。
実際これからこの二人の少女がどうなるのか、それはわからないし、これがハッピーエンドなのかというと、決してそうではないことを知ってしまっているだけに、余計に切ない。
ある意味、飛躍して、デフォルメされた映画のためのお話しなんだと割り切って、「ヤクザ映画」として観るのが本当は正解なのかもしれない。子供を救おうとか、児童虐待とか、子供たちの権利...そんなことを思って観てはいけないんだな、きっと。

だからこそ、損得勘定を抜きにして、何故か子供たちを助けてしまう年老いたヤクザ谷田(菅田俊)の気持ちにもすんなり入っていける。
ヤクザ映画になりきれないのは、主演の姉妹があまりにも清潔感と透明感がありすぎたのが理由かもしれない。

勧善懲悪なんて有り得ない。悪いのは誰でもなく、結局、悪いのは社会そのもの。いや、誰が悪いのかその犯人探しをしても、このお話しではまったく意味がない。
どうやって主人公の姉妹がこの危機から逃れられるのか。それが大切なんだから。

こんなことを考えても仕方がないのはわかっているけど、この二人、いったいこれからどうなっていくのか。それを知りたいような、これ以上知りたくないような...。

いやはや、難しいお話しです。
思わず踏みとどまって最後まで観てしまったわけだけど、よく考えてみると、この「地球でたったふたり」というタイトルはどうかなぁ。この姉妹の結びつきを示すエピソードをもうひとつか二つ効果的に挿入しておかないと、どうも無理があるように思う。駄目な父親とのエピソードをなぞれば幾らでも表現できたんじゃないかな? そうしないと、彼女たちの逃避行という行動があまりにも唐突すぎるような気もする。
それとも、思い切って菅田俊からの視線でも良かったのかもしれない。そうすると、思いっきりヤクザ映画だけどね。

主演の二人(寉岡萌希と寉岡瑞希)はかなりいい。もちろん、菅田俊も出色の出来だと思います。
そうそう「誰も知らない」のYOUとまではいかないけど、姉妹の母親役の菜葉菜(初めてお会いしましたが...)、その軽薄感がなかなか良かったです。この方、スクリーンやブラウン管よりも舞台向きのような気がします(それとも舞台出身かな?)がどんなものでしょう? これからちびっと注目ですね。
昭和の香りが濃厚に漂う天六のホクテンザ。年の瀬の昼下がり、20名ほどのお客さんでした。時間つぶしか、それとも招待券があるから来たのか、そんな感じの方が多く、実際に途中で退席した方も一人や二人ではなかったのも事実。でも、そこまで悪くはなかったように思います。

おしまい。