さよなら。いつかわかること

海岸で話す父娘の姿に、落涙必至



  

とても大事なことなのに、伝えられない。
言葉にした瞬間。今まで張りつめていた自分自身が崩れてしまうに違いない。いや、自分だけではない。全てが崩れてしまうに違いない。
でも、いつまでも黙っている訳にも行かない。自分以外の第三者から知らされるのも困る。
父親と娘は旅に出る。そして、言い出せないまま、ズルズルと時間だけは流れていく...。

考えてみたら、ついこないだまで、ボクは知らされる側であり、知らせる側ではなかった。
親や学校や組織の庇護の許、何も知らずにぬくぬくと日々を送っていたのだ。それが、いつの間にか...、いやいや、とうの昔に大人になってしまって、知らせる側になっている。
伝えなければならないことを上手く伝えられない。そのきっかけが掴めないほどツライことはない。いいことならいいけど、それでモチベーションが下がるようなことであればなおさら...。
この映画を観ながらこんなことを考えていた。

家人を戦場に送り出し、無事の帰還を祈りながら家庭を守る。こんなシーンは映画の中だけのお話しかと思っていたけど、米国では今なお家人を戦場に送り出している家庭が実際にあるんだな。そんなこと当たり前のことなのに、この映画を観るまでは、意識したこともなかったし、忘れていた。
そんな家族にとっては、この中東での戦争はどう捉えられているのだろう。その胸中を察するに、安全地帯にいてその是非を問うだけの人たちの発言は耳には届いてはいない。主義主張やイデオロギーなんて、まったく関係ない。それは当たり前のことなんだ。

ちょうど思春期を迎えた上の娘。何かを気が付いているような気配もする。夜中に黙って部屋を出てしまう。異性への関心や喫煙。そんな娘を叱り飛ばしたいけれど、そうも行かない。
下の娘は無邪気なようで、それでいてショッピングセンターおもちゃの部屋の中で泣き崩れる。
「ちょっと待ってよ。一番ツライのはこの俺なんだぜ」そんな声が聞こえてきそうだ。誰も出ないのがわかっていながら、何度も自宅に電話をし、留守電に吹き込まれている家内の明るい声を耳に留め、そして誰にも言えない胸のうちをテープに吹き込んでしまう。
母親の家に行き、ベッドで泣き崩れる。そして、弟から娘たち(ボクたちにも)に告げられる父親の知られざる一面...。

もし、ボクだったら...。
そう考えると胸が押しつぶされそうになる。

ジョン・キューザックはちっともかっこ良くないし、冴えない父親だ(職場での掛け声はケッサクだけどね)し、娘たちも取り立ててかわいいわけではない。
でも、ボクはこのお話しを抱きしめてあげたいほど気に入った。
長い長い人生の旅路の中、いつかはこんな親子の絆を確かめる旅も必要なのかもしれない。

本年の一、二を争うであろう出色の出来だと思います。文句なしにオススメの作品。
場合によっては、落涙必至かと...。
劇場公開はとうの昔に終わってしますが、特集上映や年間回顧上映で掛かる可能性も高いと思います。もちろんDVDやビデオでもお楽しみいただけると思います。

おしまい。