再会の街で

これは9.11だけの物語りではない



  

もうずいぶん前に予告編は見ていた。
好きなアダム・サンドラーだし、「ホテル・ルワンダ」のドン・チードルも出ている。「これは観てみたいな...」そう思わせる出来の予告編。その画面からはなんとも云えないような、落ち着きと深みが伝わってきていた...。
観ている最中や、観終わってすぐにはそう迫ってくるものを感じなかったけれど、時間の経過とともにじわじわと考えさせられた。そして「観て良かった」と思わせるものがこの物語りにはある。

突然、人生が終わってしまったり、破壊されてしまうことってあるんだな。
人は一人では生きていけない。たとえお金は使い切れないだけあったとしても、お金があるという事実だけでは、生きていけない。生きていく理由、生きていくためのモチベーションは必要なんだな。生きていく理由を失ってしまったとき、それを支えてくれるのは何なんだろう...?

ニューヨークのオフィス街で歯科の診療所を営むアラン(ドン・チードル)は、通勤途中の渋滞の中で学生時代にルームメイトだったチャーリー(アダム・サンドラー)を見かけるが、彼はパワーボードで雑踏の中を走り去っていく。

この映画の凄いところは、大都会ニューヨークには(当たり前だけど)実にいろんな人が暮らしているということを教えてくれるところ。
別に悪い人や狂った人が登場するのではない(まぁ、ちっとは出てくるけど)。そして、この街では個性と個性がぶつかりあいながら社会が形成されているんだなぁ。ただ、その個性も街ですれ違うだけでは何も生まれない。会って、話しをして、その個性たちはぶつかり合って、影響しあって街としての形をなしていくんだな。
多くの人が暮らしているという事実が街を作っているのではなくて、そこに当然ながら生まれるコミュニケーションや軋轢が街として大切な部分なんだと気付かせてくれる。

心に深い傷を負うことによって生きるモチベーションを失ってしまった男。物質的にも精神的にも満ち足りた生活を送っているのに目標を見失ってしまいつつある男。この二人はかつて青春の時間を共有した経験があり、時を経てお互いの立場を背負いながらニューヨークで出会う。

これは9.11の物語りだけではない。
生きていく上で、コミュニケーションが持つ意味、意義。コミュニケーションから生み出されるもの。その大切さをゆっくりと教えてくれる。人間が暮らしていく街には、いろんな意味での目的が必要で、それに伴って行われる会話やコミュニケーションが社会を形成していくのだと。

難しいお話しではない。それどころか、ストーリーを追っていくだけで、充分観ている人の心を動かしてくれるし、癒してさえくれる。
アダム・サンドラーとドン・チードルはもちろんのこと、アランの奥さんと娘たち、おかしな患者、クリニックの受付嬢、クリニックの医者たち、精神科医、会計士、アパートの管理人、チャーリーの義父母...出てくる人たち、誰もが個性的でいい芝居をしてくれています。
誰にとってもいい映画なのかはわからない。世代によってはこの映画を理解できない(理解できてもその深度が浅い)可能性があると思います。ただ、嵌れば静かだけど大きなインパクトがあるのも確かだと思います。

いい友達が欲しくなりますよ。

おしまい。