アフター・ウェディング

そこにある愛のカタチ



  

ほとんど予備知識を持たずにこの映画を観始めた。
どうやら、インドの貧民屈に住まう孤児たちを救出するという人権を扱ったヒューマンドラマが展開されるらしい。
そこに都合よくデンマークの富豪ヨルゲン(ロルフ・ラッスゴル)から援助の申し出があり、現地の活動家ヤコブ(マッツ・ミケルセン)は「どうして、自分がコペンハーゲンに出向かないといけないのか?」といぶかしがりながら機上の人となる...。
ヨルゲンは新興企業を立上げたワンマン・オーナーで、裕福で幸せな家庭を築いている。家族は妻と目の中に入れても痛くないかわいい娘。この娘が自分の会社に勤める若くして頭角を現した男と結婚することになっている。そのときにこの男は、考え抜いてある計画を実行する。

観る人の立場によって、受け取り方は大きく変るお話しだ。
ボクのようにヒトの親になっていても不思議ではない年齢に達している人。まだ子供で、親の庇護のしたでぬくぬくと日々を送っている人(まぁ、決して本人はそうは自覚はしていないだろうけど)。親としての役目を終える年齢に達してしまった人。そのそれぞれで、観方、受け入れ方は大きく異なるだろうな。
このお話しを語る視線は四つあると思う。父親、母親、娘そして父親だったかもしれない男。
ボクからみてかなり大人びて見えるヨルゲンの視線ではなく、年齢が近いせいなのかボクは、やっぱりヤコブの視線でこの物語りを観てしまう。
こんなことが可能なのか。起こり得るえるのか? 次第に明らかになるヨルゲンの計画は荒唐無稽にすら思える。時にはカネの力に物を言わせるヨルゲンの手法に反発を覚え、時にはヨルゲンの懐の深さにおののきながら...。

結論はこうだ。すなわち、真実を語るか否かに重点が置かれているのではなく、愛すべき対象である娘が今後幸せに暮らしていくには何がベストなのかを考え抜いて導き出した結果に重点が置かれている。だから、そこには世間一般にある“常識”という物差しではなく、彼が考え抜いた物差しで結論が導き出されている。
「愛」とは言葉に出して語るのは簡単だけど、その「愛」を実行に移すのはなんと難しいことなんだろう。
だからこそ、この映画ので語られる愛は三つ用意してある。その三つのうち、どの愛が崇高でどの愛がダメなのかを描いているのではない。愛とはそのときの情熱も大事だけれど、責任を伴うものなのだと教えてくれる。
若さゆえの情熱に任せた愛もある。立身出世のためだけの政略結婚にも近い愛もある。また、全てを受け入れて長い視野で育くむ愛もある。
どの愛が素晴らしいのか、それはその時々で変るものじゃないかな。情熱も大切だ、べったりとした愛を鬱陶しいとしか感じられないときもあるだろう。愛とは不変でもなければ普遍でもない。実に難しいものなのだ。そんなことを大胆にそしてこっそりと教えてくれる佳作。
「どこかにひょっとしたら自分の息子か娘がいるのだろうか」と、ふと、我が身を振り返ってしまう...。

もう上映は終わってしまっているけどかなりオススメです!

おしまい。