「犬の生活」

20/Aug./2003

  

またOS劇場C・A・Pのチャップリン映画祭にやって参りました。今回は「犬の生活」1918年の作品。
時代は第一次世界大戦時。チャップリン29歳の時の製作ですね。

チャーリーは浮浪者。家も無く、仕事も無く、その日を暮らす路上生活。ひょんなことから野犬に追われる一匹の小犬を助け出したことから、この犬と一緒に生活を始めることに...。
そんな時、チャーリーは酒場で歌う若い女性(エドナ・パーヴィアンス)に一目ボレしてしまう...。
それまでドタバタ喜劇で笑いを起こしてきたチャップリン、この頃から女性とのロマンスや涙を誘う感動を盛り込んだスタイルが登場してくる。一般的に知られるチャップリンの喜劇は、この作品からのものが多いようですね。

「犬の生活」も40分ほどの短編ストーリーながら、お話しはよくまとまっている。そういえば短編映画を観るというのも、記憶に残っていなかったくらい久し振りだ。喜劇らしくいろんなシチエーションで楽しませてくれながらも、スッキリと完結してオチる出来映えはなかなかいい。

最近やたらと長い映画があり、疲れる時もある。家でビデオ見ているなら、そう苦にもならないけど、劇場だとずっと同じ姿勢だから余計に疲れる。
ちなみに「ミモラ〜心のままに」という僕のお気に入りのインド映画があるんだけど、これは3時間以上の長編。でも、劇場で観たときも長さは気にならなかった。それに何度ビデオを見直しても楽しいし、時間も全然気にならない。思うに、それは自分が気に入っているからなんだろうな。音楽も含めて「この映画が好きだ」という思い入れがあると上映時間は関係ないみたい。
しかし、劇場で3時間も観させられるのはどうか? 面白いと思わなければ、当然のことながらとてつもなく“苦痛”。
製作者側からすれば「もっと観て欲しい」と思い入れがあるためか、どうしても長くなってしまうものだと思う。その映画にのめり込めれば、少々長くてもよいものだが、やはり劇場で観る分にはあまり長すぎるのもどうかと思う。長けりゃ大作っていうわけでもないしね。
そこで、僕は考えた。映画も劇場で公開される“劇場版”とビデオ等で楽しめる“家庭版”を分けて作るのどうだろう。劇場版はダイジェストまでとはいかなくとも、そこそこ端折って長くても1時間半ほどにしてしまう、いわば「エディターズカット」。
一方、家庭版は、これはもう製作者側が好きなだけあれもこれもと収めればいい、「ディレクターズカット」ですね。見る方も野の作品を気に入っていれば飽きないだろうし、時間も気にならない。劇場版で完結した後日談とかエピソードとかいくらでも詰め込んで楽しめると思う。そうすれば劇場で観て「気に入った、もう一度観たい!」なんて作品をまたビデオを見直すということが多くなるんじゃなかな。自宅のモニターでじっくり楽しめるという仕組み。
どうですか? ひょっとしたらその方がビデオの売上も格段に上がるんじゃないかな? いや、そうなると逆に劇場に来る人が今以上に減ってしまうかな?

ちょっと今回は話しがそれましたが、チャップリン映画祭まだまだ続きます。 次回は「チャップリンの殺人狂時代」です。