今夜、列車は走る

果たして、本当に出口なんてあるのか?



  

どこかで予告編を見たときから「ちょっと観てみてもいいかな」と思わせるところがあった。
東京ではタイミングが合わなくて、十三のナナゲイで拝見。この日、ボクと同じ思いの人はそう多くなくて、いつものナナゲイ。
しかし、この期間はモーニングで「靖国」を上映中、こちらはさすがに注目を浴びているだけあって、たくさんの方がロビーに出てこられました。補助席も出てました。この「靖国」ボクは敢えて観なかったんだけど...。

もっとメッセージ色が強いストーリーが展開されるのかと思っていたけど、どちらかと言うと淡々としたお話し。メインのストーリーの背景が批判される形で語られるのではなく、それは現実として受け止められ、鉄道が廃止され、機関車や車両の保守を担当していたユニットのメンバーたちのその後が辿る顛末を追っている。
当たり前のことだけど、年齢も境遇も背景も考え方もいろんな人がひとつの職場には混じっている。そんな職場、突然、綺麗さっぱりに消滅してしまうのだから、世の中恐ろしいというか、妙に身につまされる。

比較的まともな考え方で、今後の身の振り方を自宅の配水管の修理をしながら考えているのが、一応主人公で狂言回しの役割を担っている。メリハリはついていないのだけど、彼がTV番組に出演してこの窮状を訴えるという段取りだ。

年老いた修理工は、職場から離れるのを拒否し、閉鎖されてしまった保守倉庫で今も寝泊りしている。クルマを持っていたおじさんは、自分のクルマを持ち込んで白タク兼運送屋をしている親方の元をたずねる。まだ若く、家には赤ん坊がいる男は怪しげなツテをたどってスーパーの警備員の職にありつく、ガタイがデカくて押し出しが強いオヤジは、何か教祖様のような立場だ。これらが主要な語り手。
この他にも、話しが上手かった男は、かなり怪しげな実演販売員をはじめ、それまでよりもいい暮らしになっていたり、労組の交渉役だった男は奥さんの成功(?)で今は豪邸に住んでいる。
職場は同じでも、それぞれのストーリーがあり、それぞれの生活がある。

そして、お話しは意外なことから、一点に向かって収束して行く。
その現場。すぐ横を通るのが、廃止された鉄道。
パトカーや救急車のライトが点滅する中、倉庫から引っ張り出された機関車がゆっくりと走り過ぎて行く...。

この後、この鉄道が復活したとか、鉄道会社が再雇用を行ったとか、政府が保護策を打ち出したとか、そんなことは無かったんだと思う。
いつの時代でもそうだけど、動き出したものは止まらないし、元に戻ることもない。それでも、みんな食べなければいけないし、住むところも必要。生きて行かなくてはならないし、時は止まってくれない。
誰が悪いのでもなく、何が悪いのかもわからない。

遠く南米アルゼンチンからやって来た映画だけど、ここで語られているのは何も遠い異国のお話しでもなんでもない。日本でも何度も何度も繰り返されてきたお話しなんだろうなぁ...。
なんだか、元気が出てくるのではなく、現実を受け止めるのはいったいどうすればいいのか、アタマを抱えてしまうようなお話し。果たして「出口」なんて本当にあるのだろうか?

おしまい。