モンゴリアン・ピンポン |
勉強が少しばかり出来るより、馬を乗りこなせる方がずっと素晴らしい! |
モンゴルの広大な草原には、やはり馬が似合う。
ボクは、熱帯雨林のジャングルや、北極海の氷に閉ざされた海を見て、未開の人たちの生活に思いを馳せ、何年も何百年も変わらなかったであろうその地で暮らす人々の生活を想像してしまう。でも、よく考えてみたらそんなはずはないわけで、何処に暮らしていても、TVは見たいものだし、ラジオだって欠かせない情報源なわけだ。毎日世話をしなければならない馬ではなく、スイッチを入れてアクセルを廻せば走り出すスクーターやクルマが便利に決まっている(もっとも、ガソリンを入れなければならないという“欠点”はあるけどね...)。
このところ、工業製品にしても、農産物にしても、「中国産」というだけで、「危ない」とか「危険」というレッテルを貼って見てしまうけど、ところがどっこい、やっぱり中国は果てしなく広い。もう、イヤになってしまうほど広いんだな。改めてそう認識してしまう。
何が起こるわけでもない。
文明とか近代化とか、それ自体には何も意味があるわけではなく、それらによって失ってしまうものの方が大きい。そんなことを思うのは現代人のエゴであり、潮の満ち引きのように近代化が押し寄せたり引いていったりする辺境に地に住む人たちにとって、近代化とは避けては通れない必須の道なんだろうなぁ...。
馬は毎日世話をしないといけないし、ずっと乗っていたら疲れて動けなくなってしまう。でも、上手く休みながら乗れば、いつまでも一緒にいて、自分を遠くに運んで行ってくれるものだ。スクーターはなるほど便利だし、乗りこなすのに特別な技術は必要ない。いつでもフルスロットルで草原を疾走出来るのだ。但し、燃料タンクにガソリンが入っている場合のみ。ここでの暮らしに本当に必要なものはどちらなのか。 そして街の学校へ入学した初日。教室で彼が目にしたのは、何球あるのか数えられないほどのピン球が乱舞して、その完全な球体に誰一人として注意を払っていないという事実。望むとも望まざるともかかわらず、彼にとっての“近代化”はスタートしたばかりだ。 おしまい |