幸福〈しあわせ〉のスイッチ

がんばれ、イナデン



  

ひょんなことがきっかけで、学生時代はずっとイナデンのような街の電気屋さん、それもナショナルショップで不定期にアルバイトをしていた。エアコンや照明器具の取り付けや冷蔵庫、洗濯機などの大物の搬入搬出、アンテナを立てたりなど、電気屋の仕事はほぼ全てを網羅したし、それ以外にもいろんなこと(まぁ、便利屋さんみたいなこと)をした。挙句に、近所の電気屋にも借り出されてそこのおやじさんと組むこともあった。当時で昼食付きで1日6,000円の日当だった。今でも、その電気屋さんには時々顔を出している。だから、街の電気屋さんのことは熟知している(つもり)。

だが、どこも今のおやじさん代でおしまい。息子さんがいても跡取ではなく、普通にサラリーマンしている。それもよ〜くわかる。ミドリ電化やヤマダ電機などの大型量販店がドカンと出来て、すっかりお客さんを取られてしまった。それに、西宮は人口の流動が大きくて、昔からの土地の人はそう多くない。
紀伊田辺のような田舎でも、実際はそんなに事情は変わらないのだろうな。だから、沢田研二の気持ちも、上野樹理の思いも、み〜んなよくわかる。
それでも、値段だけではなく、嫌な顔もせずに電球を取り替えてくれたり、箪笥を動かしてくれる人の存在も必要なのだ(ボクがアルバイトしていたお店でも、秋は扇風機、春には暖房器具をキレイに磨いて預かるサービスもしていたなぁ...)。お得意様には、ラジオの電池の交換をするためだけに駆けつけたものです。
いいのか悪いのかはわからないけれど、こんな人間臭い商売も必要としているお客様もいらっしゃる。
安ければいいのか。どうもそういう風潮になっている。ものの値段にはどこまで含まれて、どこまでが必要とされているのか。もう一度立ち止まってじっくり考える必要がありそうだ。

ここまで書いて、ふと思った。
きっと、沢田研二が経営するイナデンの存在や、イナデンとお客さんとの関係を“うっとうしい”と感じて、その良さを理解できない人もいるだろうな。
そう思うことは何も悪いことではなくて、同じ製品を買うのなら、安ければ安いほどいい。他人に家の中にずかずかと入り込まれるのはとんでもない。そう受け止めたって間違いではないのだ。
ボクだって、モノによっては自分で選んで納得して買いたいものもあるのだから。

都会から帰って来た息子夫婦。その嫁に辛く当たるおばあちゃん。これは嫁姑問題で一悶着起こるなと身構えていたら、意外な展開とオチで、このエピソードは上手いなと思いました。
なくしてしまった、いや、なくしたことにさえ気がつかなかった音を取り戻すのは素敵なことだ。風の音、小鳥のさえずり、屋根を叩く雨の音...。当たり前だと思っている音こそ、実は生活には欠かせない、日々を彩る大切なエッセンスになっているんだな。

沢田研二、上野千鶴。考えてみたら二人とも出身は関西。関西の人って、関西弁をしゃべらせると、どうしてあんなにイキイキとしているように見えるのでしょう?

必見ではないけど、お暇なときにご覧になっても損はしない、そんな作品だと思います。

おしまい。