狼たちの鎮魂歌(レクイエム)

わかりにくい語り口



  

1950年代。合衆国議会はマフィアに関する公聴会を開いたが、マフィアの実態を明らかにし、立件することは出来なかった。しかし、500名を超えるイタリア系移民を“好ましからざる人物”として国外退去を命じた。そして、その多くは生まれ故郷へと帰っていった。

極端な話し方をすれば、極めてわかりにくい構成になっている。冒頭に、例の公聴会で証言した模様が描かれているものの、そこに登場する人物の顔と名前が一致するほどボクは頭の回転が良くない。
国外退去になった人たちを満載した船がイタリアのジェノヴァ港に接岸する。生憎の雨の中、入国手続きを待つ行列のシーンになって、ようやくこの物語りの語り部が登場するのは、いかにもわかりにくく疲れてしまう。それなら、5人が写っているセピア色の写真を最初に登場させて、そこからストーリーを開始するほうがよっぽどわかりやすいような気がするけどな...。

「ゴッドファーザー」が米国の社会で成功したマフィアの世界を描いた作品だとすると、この映画に登場する人たちは、志半場にして合衆国から三行半を叩きつけられた男たちのストーリー。ただ、一本の太い道筋があるお話しが展開されるのではなく、国外退去を命じられイタリアへ戻ったある一家の幾人かの男たちが語り継ぐ物語りになっている(それが、余計にこの映画をわかりにくくしている)。
そして、この物語りはある意味“殺人の記憶”なのだ。

ストーリーや背景、それに登場人物などはそれそれものごっつい味があるのだけれど、結局、薄っぺらくしか感じないのは、語り口調にスマートさが欠けるからなのかな。そして、全てが“殺人者”の視線で描かれているので、観ているこちらとしては共感のしようがない。なんとも苦くて重い空気が胸の中に残る。普通ボクたちは、殺人者の理論では物事を考えないのだから...。

普通ならここでこの映画のお話しはおしまいなんだけど、どうしてこの映画を観にわざわざトビタシネマという過酷な条件下の劇場まで出かけたのかと言うと、ヴィンセント・ギャロがエピソードの一つに登場しているから。もちろん、この映画全体の中で主役なのではなく、ひとつのエピソードで主役であるだけなんだけど。
どういういきさつでこの作品に彼が出演したのかは知らないけれど、ヴィンセント・ギャロにはこんなチンピラ役がとてつもなく「似合う!」。まぁ、クリーニング屋の娘さんもかわいかったけどね。そんなこんなで、ごく一部にはこの映画にも華があり、無理をしてでも観てもいいかなと思ったのです。
まっ、厳しいトビタシネマの環境で観るだけの価値があったかどうかは微妙だけれど、もうとっくの昔に上映は終了しているし、きっとそう遠くない日にビデオやDVDも出るでしょうから、それからご覧になってもいいんじゃないですか。

おしまい。