8月のクリスマス

どういう意図でリメイクしたのかな?



  

この偽ジェの第一号はシムウナの「八月のクリスマス」。
シムウナにハンソッキュウという主役を務めた二人の俳優さんも良かったけれど、何よりも語られる物語りの美しさに惹かれた。こんなにも美しく、抑制の効いたお話しが他にあるだろうか?
ジョンウォンは偶然に知り合ったずいぶんと歳が離れた駐車違反取締官のタリムに、悪くない感情を抱く。でも、自分は若くない、タリムの前で自分の感情をそのまま表に出したり、言葉にしたりはしない。若くないだけではない。ジョンウォンには残された時間があまりないこともわきまえている。タリムに何も告げないまま姿を消してしまう(入院する)。何も聞かされていないタリムは戸惑い、悲しみ、そして怒る。でも、それをぶつける相手もいないし、場所もない。自分が愛している女性を幸せに出来ないとはどんな気持ちなんだろう。幸せに出来ないのであれば、せめて不幸せにしないように姿を消すのは一体どんな気持ちなんだろう?

そんな「八月のクリスマス」。舞台を日本の富山に置き換えてリメイクされたのが「8月のクリスマス」。観るのが楽しみなようで、怖いような、なんとも複雑な気持ちだったけれど、人の口からああだこうだと耳に届く前に、自分の眼で確かめようと、公開一週目に梅田ガーデンシネマへ出掛けました。
満席で立見も出る盛況。ボクはあらかじめ整理券を貰っていたので観易い席に座れました。会場にいる客層を見ると、シムウナの「八月の〜」のリメイクを観に来たというよりも、新作の邦画を観に来たって感じの若いお客さんがほとんどでした。そういえば、この直前に観た「青空のゆくえ」でも、主人公の友人が思いを寄せる女の子の誕生日のプレゼントに山崎まさよしのCDを選んでいたもんなぁ...。ボクはこの山崎まさよしという人を知らないし、きっと曲も意識して聴いたことはないけれど、そこそこ人気がある方なんでしょうね。

かなり忠実にトレースされている。そんなに違和感は感じないけれど、駐車違反取締官を小学校の代用教員に置き換えるのはどうでしょう? いまどき、小学校の授業でも写真をプリントして使うことはまずないのじゃないかな。だから彼女が写真館に足繁く通うことに説得力がないような気がしました。
実は、そんなことよりも、関めぐみ演じる由紀子にあまりにも魅力を感じなかった(これってボクだけかな?)。今どきの日本の若手俳優の中でも、彼女より素敵な人は何人でもいただろうに...。
でも、結局、誰が演じようとそれはあまり問題ではないと思う。静かで心に染み入るお話しであることには間違いないのだから。舞台が東京やその周辺ではないところが何だか嬉しかったな。こんな街でボクも静かに暮らしてみたいと思ってしまいました。たとえ短い命であったとしても。

この映画で初めてこのストーリーに触れる人にとっては「いいお話し」であったのではないでしょうか。そういう意味では成功していると思いますよ。
でも、リメイクとしてはどうだったのでしょう。細かい台詞までトレースしているし、もちろん全てのエピソードを拾っているわけではないけれど、全体から受ける印象は“スケールが小さくなった”という感じ。折角リメイクするのであれば、もう少し違う解釈や表現があっても良かったような気がします。そうしないと、元作に肩を並べたり超えたりするのは、ちょっと難しいな。
難しいことは言わないけど、リメイクする意図が見えてこなかったような気がします。

ガーデンシネマでもうしばらくモーニングで上映しているみたいですね(11/11まで)。それに元作の韓国版「八月のクリスマス」が12月の10・11・14日に九条のシネヌーヴォで上映されます。大きいスクリーンで観るチャンスはそうそうないので、お時間が許せば是非どうぞお出かけください。

おしまい。