ビヨンドtheシー 

その名はボビー・ダーリン



  

ボビー・ダーリン。このおっさんがどんな人であったのか、それは残念ながらほとんど知らない。それがこの映画と「Ray/レイ」との決定的な違い。
それでも、この映画もストーリーが進むと、耳にしたことがあるメロディにたどり着く。米国から太平洋を挟んで遥か離れた極東の島国に住むボクでも知っている曲があるということは、考えてみたら凄いことですよ、ボビー・ダーリンさん。
「五線譜のラブレター」といい「Ray/レイ」といい、そしてこの後でいずれ紹介する「ライフ・イズ・コメディ」といい、往年の大スターの半生記を映画で振り返る趣向がヒットしているようだ。

この人は、生まれつき身体と心臓が強くなく、いつもベッドに臥せっているような子供だった。子供心に覚えているのは、往診に来た医者が母親に「この子はもう長くない」と宣言しているシーンだったりする。
若い頃ミュージカルの舞台を経験していた母親は、このひょろっとした愛息にピアノを教え、音楽への道を示唆する。もっとも、この時点で、いつまで生きるのかわからない息子にせめてもの慰めるためだったかもしれないけれど...。
やがて、子供は立派に成長する。そして、ショウビジネスの世界での成功を夢見て家を後にし、都会(ニューヨーク?)へ旅立っていく。しかし、歌が上手いだけではなかなか成功することが難しいのがこの世界の常。次に考えたのが名前を変えること。ふと見上げた電飾の看板に書かれていた「ダーリン」から取って自分の芸名を「ボビー・ダーリン」としたのだ。

この映画の上手くて偉いところは、ボビー・ダーリンが誰もが知っている大スターとして描いていないところだ。だから、冒頭で、当時彼がいかに大スターであったのかを知らせる巧妙な仕組みを練り上げている。すなわち、自分で自分を演じる伝記映画を撮影中というシーンで幕が上がる。
なるほど、彼は大スターだったのだ。

ボクも若かった頃、何度かライブハウスへ行ったことがある。今となっては名前も思い出せないバンドの演奏を聞いたこともあれば、ちびっとだけ有名だった「誰カバ」とか、今も頑張っている「東京スカパラ」などなど...。生の演奏を聞くのは、心が痺れるほどの陶酔感をもたらす。まぁ、麻薬のようなものか。
幾らメディアが発達して、テレビやラジオで、それにレコードやテープなどで自分のパフォーマンスを大衆に発信できるとしても、ボビーの原点であり大切なことは、こじんまりとしたクラブのステージに立ち、生身のお客さんを前にして歌うことなのだ。
自分の目標はコパカバーナの舞台で歌うことであり、姿が見えない大衆に迎合するだけではなく、実体があるお客さんに酔ってもらうことであったのかもしれない。そして最後のステージは酸素吸入器を使いながらラスベカスのフラミンゴカフェであったことは、興味深い。

忘れてはならない。如何にも、如何にも。そんな恋も描かれる。
何がかわいいかと言って、サンドラ・ディのかわいさには、イチコロ。これも良くわかる。そして、何を隠そう、映画の主人公になろうというほどのスターには実行力が伴なっている。
実際のサンドラ・ディがどんな方であったのかは知らないけれど、この映画でサンドラ・ディを演じているケイト・ボスワースはなかなかかわいい。いいですょ。
ボビー・ダーリンという名前はこの日まで聞いたことがなかったけれど、このサンドラ・ディなら知っている。往年の青春スターとして。確かに歌にも歌われていたはず...。

こんな伝記ものにはなくてはならない、サクセスストーリー、恋物語、浮気に破局。これらが上手く散りばめられ、最後に明かされる秘密とは?
幾らステージでスポットライトを浴びていても、中身はやっぱり一人の人間なんですね。
ほんとうにボビー・ダーリンは、自分の人生の短さ、残された時間の貴重さを知っていたんだな。愛する息子に託すスーツケースが涙を誘います。

必見ではないと思いますが、ご覧になっても損はないでしょう。でも例によって紹介が遅くなったので、多くの劇場では上映が終わっているみたいです(ごめんなさい)。

おしまい。