「道」

男と女の仲はちっともかわってない


  

2004年の一番最初に観る作品はどれにしようか。話題の大型アニメ「ファインディング・ニモ」の字幕版にしようかな、なんて考えていた。すると、ふとお邪魔した十三の第七藝術劇場で「フェディリコ・フェリーニ特集」を上映するというチラシを貰った。ふんふん、フェリーニとニノ・ロータ(音楽)が組んだ作品は最高だしね、なんて思っていた。そしたら、やっぱりやるやんか「道」。
一応この通信のタイトルも「道」からとってる。年頭を飾るにこれほど最適な作品もない(のに違いない!)。
この映画を初めて観たのはいったい何時だったか...、遠い過去を振り返る。大毎地下だったか、毎日文化ホールだったか...。確かNHKでTV放映されたものをビデオに残していたはずだったけど、震災の際にどこかへ行ってしまったなぁ。今回観るのは、20年ぶりかな。
メジャーな作品だけに、そこそこお客さんが入っていると思ったけど、正月明けの七藝は、いつもの七藝だった(すなわち、両手で足りるほどのがらがら)。

なんとも物悲しいお話し。

アンソニー・クイン演じるザンパノが海辺の小さな集落へ幌つき荷台をつけた大型単車で訪れる。かつて、この集落で買い取った娘が死んでしまったので、彼女の代わりを買いに来たのだ。選ばれたのは、死んだ娘の妹で、少し知恵遅れの少女「ジェルソミーナ」(ジュリエッタ・マシーナ)。彼女は一家の口減らしのために僅かな金額でザンパノに売られてしまった。別れの挨拶もそこそこに、ジェルソミーナは男の車の荷台に乗らされる。

ザンパノの生業は、大道芸人。彼は街角に立ち人を集め自分の芸を見せて見物料を集める、それを生活の糧にしている。ジェルソミーナはその際の助手。楽器を鳴らして雰囲気を高め、帽子でお金を集める。
二人は街から街へ。単車に乗ってイタリア中を旅する。
事あるごとに、ジェルソミーナは自分と姉ローザとを比べる。嫌だと言いながらザンパノに身を預ける。まるで、自分の意思では生きていけないような、自分の意思ではもう二度と故郷の家には帰れないことを悟っているような、はかなげで悲しそうな顔つき。
それでもジェルソミーナの顔がぱっと明るくなり、笑顔がこぼれるときもある。ザンパノが、誰かが、自分のことを褒めてくれたとき、ジェルソミーナのことを必要だと思ってくれたとき。
いつしか、下手くそだったラッパの音色も安定し、助手としてのコツも掴んでいた。

献身的(盲目的?)に同行するジェルソミーナにザンパノは愛情の欠片も示さない。感謝もしない。その上、恩を仇で返し、おまけに女癖も悪い。とうとう、ある日彼女はザンパノの許から逃げ出す決意をするのだが...。
やはり、ジェルソミーナは離れられない。彼を一人には出来ないと思うのだ。

この映画には、愛だの恋だの、惚れるだの惚れたなどの言葉は一切出てこない。
流れてくるもの悲しい、トランペットのテーマ曲。
有名なラストで、ザンパノが波打ち際で突っ伏すシーンにも、何の説明もせりふも無い。

観る人に感じさせ、考えさせる。そして長い、長い余韻が尾を引く。

あぁ、それにしても50年も前に撮られたこの作品。どれだけ技術が進歩して、コンピュータや携帯電話が進化しても、人間は、人間そのものは少しも変わっていないんだなぁ。
そんなことをそっとボクに教えてくれる。

ビデオもDVDも出ています。古臭いなどと言わずに。是非、ご覧下さい。

おしまい。