「インディアンサマー」

柳の下にドジョウは...


  

十三で開催されていた「大阪韓国映画祭2002」で上映された映画を紹介するのも本作で4本目。
日本で初めて上映される「インディアンサマー」という作品。予算の関係か、フィルムの都合かはわからないけど、日本語字幕ではなく、英語字幕のみでの上映。
ソウルや香港で映画を観るときにはそれなりに気合いが入っていて、日本語字幕なしでもなんとかなるんだけど、大阪でしかも十三が会場ということで気合いが入っていないためなのか、それとも法廷のシーンが多くて難しい単語がばかりだったせいなのか、どちらかわからないけれど(多分、両方)はっきり言ってあまり理解できませんでした。
たいてい英語の字幕が2行にわたって画面下に表示されるんだけど、上の1行を読んで、2行目にさしかかったところで字幕が切り替わってしまう! やっぱり、英語ぐらいはちゃんと勉強せんとあかんなぁ。役者さんの表情などを見る余裕もない!
これは気のせいかもしれないけど、香港で観た映画の英語字幕のほうがシンプルな単語が多く、語学力が低い人(すなわちボク)にも理解しやすかったような...。

さて、お話し、そんなに難しいストーリーではありません。
主人公は、国選弁護人として、旦那を殺害したという罪に問われている若い人妻を弁護することになる。彼女の美しさに惹かれた主人公は、この事件に興味を覚え調べ始めるが、彼女の態度は極めて投げやりだ(もちろん、設定は最初に事件ありきで、たまたま被告が美しい方だっただけですけどね)。裁判で争う気はなく、彼にも非協力的で「死にたい」と漏らす。やがて、彼の真摯な態度と情熱にほだされて「もういちど、生きてみてもいいかな」と明るさを取り戻す彼女。彼は、決まっていた米国への留学を蹴って彼女の弁護に奔走し、勝訴を得るのだが...。

いかにも韓国の方が好きそうなメロドラマ的手法。
あまりにも主人公二人の恋愛に主眼が置かれすぎていて、人間ドラマ、法廷ドラマとして観た時にはどうしても盛り上がりや厚みに欠けてしまう。
お話しそのものの構成が極めて甘く、だらだらとどうでもいいようなことに饒舌すぎるような気がするしね。そして、肝心のどうして主人公の弁護士はここまで彼女やこの事件に入れ込んでしまうのか、また彼女はどうしてここまで投げやりな態度で裁判に臨むのか、この大事な点に関する説明がなさ過ぎる。これじゃ、観ているほうは映画の世界に入り込めないよ。
また、この手のドラマは幸せな時の二人と、絶望の淵に立たされている時の二人の「落差」がポイントだと思うのですが、この二人って全然幸せそうじゃないしね。
この程度のストーリーなら、60分か90分枠のテレビドラマで充分だと思ってしまう。

主役の弁護士を演じるパクシニャンは、あの「手紙」で妻に手紙を残して死んでいく旦那さん役の人だ。この人の登場でこの映画の性格が決まったようなものだ(そうでもないけど)。
「手紙」は設定とストーリーの良さが光っていたけれど、今回のこの作品は舞台が法廷だけに、万人に同感を巻き起こすには設定が弱すぎたような気がするな。
被告役にはイミヨン。角度によってはなかなかの美形。ほんとは、この人と死んだ旦那さんとの関係ももっと詳細に語らないとアカンと思う。
唯一の好演は、弁護士を補佐する年配の男性。谷啓を細くして若くしたような、この飄々としたおじさんが、なかなかいい味を出していました(名前は不明だけど)。
パクシニャンを主演に持ってきて、メロドラマを作ろうという狙いは大きく外してはいないと思うけど、ただそれだけの作品になってしまったような気がします。柳の下に大きいドジョウは二匹いなかったけど小さいのがいたって感じでしょうか。まぁ、今後日本でもう一度上映される可能性は極めて低いと思いますけどね。

今回の「大阪韓国映画祭2002」は、今まで日本ではなかなか上映されるチャンスが少なかったちょっと、マイナーな映画を紹介して下さってほんとにありがたい企画でした。いろいろ大変でしょうが、次年度以降も継続して開催してくださることを期待しています。関係者の方々、ご苦労さまでした、お疲れさま、そしてありがとうございました。

次回は、広島で観てきた「Laundury」をご紹介する予定です。

おしまい。