「空色の故郷」

知らないことばかり


  

映画を観ることは、今まで自分が知らなかったことを教えて貰ったり勉強になったりすることが多い。そうでもないことも、もちろん多いんだけどね。
今回「大阪韓国映画祭2002」で観た「空色の故郷」というドキュメンタリー映画は、今までボクが全く知らなかったことを教えてくれる映画だった。
会場は十三(じゅうそう)にある第七芸術劇場という渋いホール。
この会場へ来るのは3年振りかな。その時は自主上映会でハンソッキュの「ドクター奉」を観た。
今回は縁あってご招待券を頂きました。ありがとうございます。

シンスンナムという朝鮮族の画家が描いた絵を巡るドキュメンタリー。もちろん彼のことは今まで知らなかった。そして、知らなかったのは彼のことだけではなく、彼を巡る一連の事実も何一つ知らなかった。知らなかっただけに、胸にささるとげの大きさもそれなりに大きかった。

シンスンナムは旧ソ連のウラジオストック周辺に生まれた。それは、日本が朝鮮半島を併合したからかどうかは良くわからなかった。でも、その後、日韓併合が彼と当時旧ソ連の極東地域に住む朝鮮族に大きな影響を与えたのは間違いない。
1937年、当時ソ連で政権を握っていたスターリンの指示によって極東地域に住む20万人もの朝鮮族が、突然中央アジアに移住させられる。それは、スターリンが朝鮮族の人々が日本のスパイだと信じて疑わなかったからだ。この移住が行われる前にも、何人もの朝鮮族がスパイ容疑で当局に連行され、そのほとんどは二度と帰っては来なかった。
貨車に詰め込まれ、ほぼ1カ月にわたってカザフスタンやウズベキスタンへ連行された。この旅の途中でも多くの人が命を落としたという。
この突然の強制移住に伴う、驚き・悲しみ・苦しみを、当局からの監視を逃れて絵に残したのがシンスンナムという画家なのだ。
映画は、強制移住させられた人たちの泣き言やうらみつらみを、綴ったものではない。今は美術学校で学生に絵の指導をしているシンスンナム画伯へのインタビューを中心に、強制連行を体験した方々の淡々とした当時の証言で構成されている。その淡々とした受け答えが時の流れの重みを一層増している。

旧ソ連が崩壊して、それまで30年間、日の目を見なかったシンスンナムの大作「レクイエム」が公開され、1997年には韓国国立現代美術館でも一般に公開されたという。
そして、歴史の中に埋もれかけていたスターリンによる強制移住の被害者がようやく思い出されたのだ。
現在でも中央アジアにはたくさんの朝鮮族(自らは「高麗人」と呼んでいる)の人が住んでいるそうです。

内容は濃くて重いのですが、感情的になっていない分だけ、見た目には軽いです。でも、最後の最後にズシンと来るような映画ですね。

次回も「大阪韓国映画祭2002」で観た映画「ボクにも妻がいたらいいのに」をご紹介する予定です。

おしまい。